「この1冊ですべてわかる オンライン定量・定性調査の基本」3-3
『オンライン・グループインタビューの理論と実践』補足
「この1冊ですべてわかる オンライン定量・定性調査の基本」本編では紙数の関係であまり触れられなかった点について補足をしたいと思います。本編では参考文献や引用文献についてもカットされていますので、本ホームページ上で本編、本稿とあわせてごらんください。
>「インタビューのカタチ」とその特徴
~アスキングでは「ホイール型」となり、リスニングでは「完全連結型」となる
本編では「インタビューのカタチ」ということで、グループインタビューについては、グラフ理論で言うところの「ホイール型」と「完全連結型」のスタイルがあることを指摘し、オンラインインタビューでオフラインインタビューと同等以上の成果を上げるためには完全連結型でなければならないということを説明しました。
その中で下記のように述べています。
「一般にFGI(フォーカスグループインタビュー)と呼ばれているものの大半は、司会者と各対象者が個別に一問一答で質疑応答(アスキング)を行うものです。対して、筆者が行ってきたGIはG・D(グループ・ディスカッション)(内田、1979)やGDI(グループダイナミックインタビュー(梅澤、1981)、グループ・ディスカス・インタビュー(油谷、1995))と呼ばれる、司会者が提示した話題についての対象者同士の自由で自発的な話し合いのリスニングを行うものです。」
※アンダーライン部分は参考文献を明らかにするために本編に加筆
前者(FGI)がホイール型であり、後者(G・D/GDI)が完全連結型です。そして、ホイール型に対して完全連結型のグループインタビューはオンラインであろうがオフラインであろうが、圧倒的なパフォーマンス、クオリティの高さがあることをグループダイナミクス理論やグラフ理論からの演繹と実証実験例(加地ら、2011)で明らかにしたわけです。
それについて本編では以下のように述べています。
「そもそもホイール型ではグループダイナミクスは偶然以外には発生せず「文脈の分断」の効果も加わって、得られる情報の質、量共に完全連結型に劣ってしまうというのが結論です。本来求められていることを達成するためにはGIは完全連結型であるべきなのです。」
本編では十分に説明できなかったので、この点の説明の補足が本稿の主たる目的です。その詳細は下記の図表のとおりです。
※本稿では図表番号は本編の3個に続く意味で4からとなっています。
図表4はグラフ理論から演繹された情報の種類数の理論値試算結果です。エッジとその方向は情報の種類を規定していると考えると、インタビュアーと出席者の質疑応答となるホイール型では、同じインタビュアーの質問に対して各個が回答していくわけですから得られる情報の種類数(関係数)は人数分が最大値となります(エッジは単方向)。一方、完全連結型ではグループ内でのAさんとBさんの間の話題はAさんとCさんの間の話題とは異なる可能性がありますし、同じAさんとBさんの間でも、Aさんから提起される話題とBさんから提起される話題は異なる可能性があると考えますと(エッジは双方向)、辺と対角線の数の2倍が最大値となります。
このようにして計算しますといくつかの興味深い示唆が得られます。一つは、「完全連結型ではホイール型に対して“整数倍”の情報が得られる可能性がある」ということがあります。例えば、6人の場合では5倍です。他には、「ホイール型では3人と4人の間ではさほど大きな違いはないが、完全連結型では2倍の差がある」ということがあります。これは完全連結型のインタビューを行ってきた筆者の経験にもまったく合致する試算結果です。また、「ホイール型の3人と、完全連結型の4人では4倍もの差がある」という示唆もあります。最近3名編成の「ミニFGI」と呼ばれるものが横行していますし、オンライン・グループインタビューへの対応として人数を減らすことが言われていますが、安易にグループの人数を減らすことは調査の成果に重大な影響をもたらすということになります。一方、一定以上に人数を増やしても今度はその「限界効用」は逓減していくので、調査のコスパを考えると人数を増やせば良いというわけではない、ということも言えます。グループの増員による効果については、完全連結型の方がホイール型よりも大きく、特に6人までの増員効果が大きいため、従来経験的に6人がスタンダードとされてきたグループインタビューの構成人数設定の根拠となると言えます。ホイール型ではもともと獲得可能な情報量は理論上完全連結型よりも整数分の1で少ないわけですが、人数については、増やしても減らしてもあまり影響がないということも言えます。
この理論値の試算だけならば数字遊びのそしりを免れないのですが、図表5は実際に同じ調査仕様でグラフの違うインタビューを行った実験の結果です。要約すると、「文字数では同じ位だが、完全連結型ではホイール型のわずか1/5のインタビュアー負荷で、1.6倍の情報が得られている」ということです。しかも、お互いに関係づいている情報が多い、すなわち、文脈がわかりやすい、もしくは構造化されている情報となっている、ということが言えます。理論値ほどには差が広がらないのは、2時間という時間的な制約があることと、そもそも似た生活背景の人たちをリクルートしているからという理由が考えられます。
これらのデータが示唆していますが、本編でも触れているように、ホイール型のインタビューでは情報のハブとなるインタビュアーに情報処理の負荷が集中することで「情報の飽和」※1と呼ばれるオーバーフローが発生して複雑な文脈を聴取するには非効率であることが実証されています(Shaw,1964,1978)。また、ホイール型の必然である指名と一問一答では対象者間と設問間で発言の分断が生じることで、発言にあらわれる生活の文脈も分断されます。そのため生活の中にある事象間の関係が不明になりがちです。さらに、質問されないことには答えないことによって、設問間にある行間や余白も潜在してしまいます。そのために、因果関係や一見矛盾に見える情報の間を埋める情報が欠落し、情報解釈に困ることも発生します。
そもそもグループダイナミクスとは集団の成員がお互いに影響しあうことによって発生するものですから、「指名」や「発言順の指定」あるいは「インタビュアーとの質疑応答」といった対象者間を分断するコミュニケーションスタイル(グラフ)ではそれは偶然にしか発生しないわけです。つまり、「グループダイナミクス」を利用した手法であるとうたう以上、「グループインタビュー」というものは、ホイール型であってはならず、完全連結型でなければならないということになります。
一方、一般にインタビュー調査というものは「質問⇒回答」というものだと捉えられており、「アスキング」だと位置づけられています。たとえば「マーケティング・リサーチの基本」(岸川、2016、日本実業出版社)では、明確にアスキングとして位置づけられています。しかし、上記した通り完全連結型のグラフも、そこから生じるグループダイナミクスも、インタビュアーからの「質問」主導では偶然にしか発生しないわけです。つまり、グループダイナミクスを利用するとうたう以上、グループインタビューは本来「アスキング」であってはならないということになります。ここにグループインタビューというものへの認識の根本的な問題がある、ということが今回の執筆で明らかにされたことです。
もう一度上記の引用文をご覧いただきたいのですが筆者はG・D/GDIについて「司会者が提示した話題についての対象者同士の自由で自発的な話し合いのリスニングを行うものです。」と明記しています。つまり「話し合い」が前提の油谷、内田、梅澤や筆者はグループインタビューというものを「リスニング」(傾聴)としてとらえているわけです。特に梅澤は、「司会者というのは『質問者』でも『訊問者』でもありません」ということを明言していますし、「傾聴」についても「聴かせていただく心が重要」と強調しています。(梅澤、1993、PP.130-137.)
>「意識マトリクスマップ」と「インタビューのカタチ」
インタビューが「傾聴」でなければならない重大な理由がもう一つあります。それは、本編でも紹介している「コミュニケーション領域における意識マトリクスマップ」(図表3-10)※2で説明されることですが、調査対象側が意識できていても、調査主体側が意識できていないこと、すなわち質問できない領域(C/S領域)にこそ、調査対象者がいくらでも話せる生活者情報の宝の山があるということです。ここでは質問ができないのですから、何かの話題を提示はするものの、その話の内容を虚心坦懐かつ謙虚に聴かせていただくしかないわけです。図表5の実験では、完全連結型に対して商品開発マーケターは「印象に残る」と評価しています。それはまさにC/S領域の情報であったからこそであり、ホイール型については「わかりやすい」というのは/C領域の情報が主体であったからこそだと考えられます。しかし、いくらわかりやすくても既存概念の外側の情報が得られなければ、調査をする意味はありません。
例えば、野球界のレジェンド、イチロー選手に野球のシロートの筆者がインタビューすることを考えてみましょう。筆者のように野球を知らない人間は、野球の技術のことや練習のことなどについての質問は本当はできないわけです。質問したとするとせいぜい「どうやったら打てるようになるんですか」とか「打撃のコツってどんなところにあるんですか」などといったことで話をつないでいくしかないわけです。それをどう表現すればよいのか、聞かれたほうも困るでしょうし、おそらく答えを聞いてもシロートには理解不能でしょう。そもそもが、天才たるイチロー選手自身、それについてはもしかしたら無意識かもしれません。それよりもいっそのこと「イチローさんの野球観を経験談を交えてとにかく思いつく限りに聴かせてください」と、いわば「野球観と関連経験」という話題を提示したほうがより深みのある話が幅広く聴取できるはずです。質問ができないことの中には思いもできなかった話もたくさんあるでしょう。幅広く深い話が聴取できることで、細切れに質問するよりも理解度も上がるはずです。C/S領域において理解度が上がるということはその分、C/C領域が拡大するということでもあります。つまり、その後に初めて「噛み合う」質問もできるようになるわけです。そして、これはなにも相手がレジェンドでなく一般の主婦だったとしても、彼女たちは家事のプロであるわけですから家事のシロートたる筆者が家事に関するインタビューを行うにあたっては全く同じことなのです
これが「傾聴」=「リスニング」です。リスニングでは彼らの生活について、インタビュアーの意識領域より広い範囲の情報が聴取できるわけです。
一方「深掘」と称して、調査主体側が意識できていても調査対象側が意識できていないこと(S/C領域)をアスキングすると、調査対象側は「通念」や「常識」を話すしかなくなります。これがいわゆる「タテマエ発言」になります。それがノイズとなって、調査全体の解釈を歪めてしまいます。「潜在意識を〝聞き出して“ほしい」などというのはそもそも「潜在」しているのですから無理な要望なのです。
例えば、「利用しない理由」を調べてほしいという要望は多いものですが、購入した商品が不良品だったなどの明確な理由で利用を中止したといった場合以外には、多くの場合「利用しない理由」というのは意識されていません。意識する必要はないからです。つまりこれは潜在意識を聞き出そうとすることに他なりません。競合店の利用者に「どうしてウチの店に来てくれないのか」と質問したとすると通念、常識に基づいて、実は買いたいものなどないのに「値段が高いから」とか、実は利用したいとも思っていないのに「接客がわずらわしいから」と答えてしまうわけです。
これは専門的には「粗雑な合理化」(油谷、1984)と言いますが、仮に、経営不振で最近話題になった某家具店がこのような調査を行って、その特徴であった商品の価格帯を変更したり、接客をやめたりしていたら、と考えてみるとその恐ろしさが身に沁みます。ところが、インタビューの現場においては検討や購入の体験のない人に対して何の疑問もなく「いくらだったら買いますか」とか「どうなったら買いますか」などと質問することが横行しています。これは明らかにS/C領域へのアスキングです※3。
インタビューがアスキングであるという誤解がそのクオリティを落としていることは、図表6のように、日本にグループインタビュー調査を定着させた巨匠方らが早くから指摘されてきたのですが、「悪貨は良貨を駆逐する」の例え通り、今に至るまでその悪弊が正されていませんし、むしろ上記の通り「インタビュー=アスキング」の理解が主流とすらなっています。巨匠方が「高度成長は終わった」と言われた後の時期に日本の経済成長の原動力となるような画期的新商品やサービスを量産されていたことを思うと、それが昨今の日本経済の衰退の一つの原因であるとすら言うことができるでしょう。
さて、本編中の図表3-10の各領域の定義から明らかなように、アスキング(質疑応答)が機能するのはC/C領域においてのみですが、C/C領域内だけで解決できる課題であるのならばそもそも定性調査ではなく定量調査を行うほうが有意義である場合が多いわけです。逆に定性調査を行うのならば、C/S領域の情報が取れないと意味がないとも言えます。例えば、調査場面で試食を行えば、「おいしさ」などの商品要素の評価についてはC/C領域で聴取することができます。しかし、調査場面で「おいしい」とか「ぜひ買いたい」という発言が聴取されたとしても実際にその商品が購入されないということは枚挙にいとまがありません。それは、実生活の中においては「他に代替する商品がある」とか、「その商品を利用するシーンがない」といった調査場面では潜在していたC/S領域の理由があるからです。
すなわち、試食やコンセプト提示などによってC/C領域(正しくはもともとS/C領域であったところに対象者の新たな体験で拡大したC/C領域)でその評価が聴取できるような調査においても、その評価の精度を高めるためにはC/S領域の情報を聴取する必要があるということになります。そのためにはやはりそのような場合においても、インタビューはアスキングではなくてリスニングである必要があるわけです
よくクライアントから「業界知識のあるインタビュアー」をアサインしてほしいという要望をいただきます。それは「業界知識があることでより様々なアスキングができるだろう」という期待感から生じていると考えられます。しかしいくら業界知識があってもそれは所詮プロたるクライアントよりは劣るわけですし、そもそもアスキングでは本当はC/C領域しかカバーできないわけです。なので、むしろ業界知識などはなくとも傾聴ができる能力の方が重要だと言えます。アスキングインタビューが一般的であることを考えると、クライアントのこの要望は過去体験したアスキングインタビューに対しての不満が根底にあると考えられます。しかし、「インタビュー=アスキング」という固定観念の中ではそのように考えるしかないわけです。
>「アクティブリスニングインタビュー」※4の提唱
つまり、インタビューというものはグループであろうが、個別であろうが、すべからく「リスニング」であるべきだ、ということになります。ただし、様々な工夫によって積極的に調査課題を解決する情報を傾聴する必要があるわけですから、これは単なる傾聴ではなくて「積極的傾聴」(アクティブリスニング)である必要があるということになります。従来のインタビュー調査、特にグループインタビューにおいて指摘されてきた諸問題や批判はその内容をよく検証してみるとリスニングではなくてアスキングを行っているが故であることが多いというのが筆者の分析結果です。例えば「タテマエ発言が多くなる」というのは上述したようにまさにS/C領域へのアスキングを行っているからに他なりませんし、「対象者が自発的にしゃべらない」のは、実査冒頭からアスキングが始まる結果、「聞かれたことに答える」ことがその場でのタスク、ルールであるとノンバーバルに対象者に了解されてしまうからです※5。
この観点から筆者はグループインタビューのみならず、パーソナルインタビューにおいても、話題を提示して対象者に一人語りに語ってもらうMTI(Monologue Task Interview)という手法を開発・運用しています。そして、G・D/GDIとMTIをあわせて「アクティブリスニングインタビュー」(図表7)と呼んでおり、一般的にはアスキングであるFGI及びIDIと一線を画しています。
本編中の図表3-10も表現されているように、アスキングインタビューでアスキングされるのはもっぱら調査主体側の関心ごとである「商品・サービス」に関する情報ですが、アクティブリスニングインタビューにおいて傾聴されるC/S領域の情報はもっぱら調査対象者たる生活者の関心ごと、すなわち「生活」に関する情報です。生活行動や生活意識に関する発言情報を心理学的に分析して生活者のホンネを探り出し、さらに、それをマーケティング課題を解決する企業言語にホンヤクすることがアクティブリスニングインタビューには必要であるということになります。
しかしFGIやIDIはアスキングですから生活者にいきなりマーケティング課題を解決する「答え」を求めるような質問をしてしまいがちです。それが「タテマエ発言が多くなりがち」な原因にもなってしまうわけです。それが意識されていようが、いまいが、生活者に対して企業観点での答えを求めているわけです。また、S/C領域は本来、生活者たる対象者には答えられないこと、意識の中にはないことですから、そこをアスキングされても彼らは話ができません。したがってインタビューは低調になりがちです。そうなると、さらにアスキングを繰り返すという悪循環に陥っていきます。インタビューにおいてあるべき発想、認識は「聞き出す」ではなくて「話をしてもらう」でなくてはなりません。
但し、アクティブリスニングインタビューの実施に当たっては様々な条件や特有のノウハウがあります。本編でも一部触れてはいますが、上述した分析(ホンヤク)の問題もその一つです。他にも例えば、女性6人が集められていきなり「子育て」の話題を提示され、「自由に話し合って」と言われたとしても、まず、他の人たちが子育てをしているのかどうかもわかりませんし、子供がいたとしても年齢がどれくらいなのかがわからないわけで、何を話せばよいのかの判断がつかず不安です。しかし、自己紹介やインタビュアーの趣旨説明において、 「全員幼稚園児のお母さんが集められている」ということがわかれば、共通の話題が何であるのかの判断ができリラックスして話せるようになるわけです。「どんな子供がいるのかはスクリーニングアンケートで分かっているので自己紹介は不要」だとクライアントから言われたとしても、それは自由で活発な話し合いの為には必要不可欠であると説明して理解してもらうことが調査の成功のためには必要なわけです。
本稿では省略しますが調査企画、リクルート、実査運営、分析にいたるまでこのような、配慮、ノウハウは微に入り細を穿ってさまざまなことがあります。例えば、グループダイナミクスを発生させるためにインタビュアーは冒頭に集団形成を図る必要があり、そのためには「集団実体性」(Campbell, 1958)の各要因(Lickel et al., 2000)を高める必要があります(釘原、2011)。対象者の来場対応から冒頭の趣旨説明や自己紹介などは実はそのために行われるべきだということです。上記の子育ての例は集団実体性の要因の中でも「類似性」と呼ばれるものを高めているのです。アクティブリスニングインタビューの「カタチ」だけをまねてもうまくいかないということだけはご理解いただければと思います。その理論やスキルを身につけたインタビュアーである必要は言うまでもありません。
アクティブリスニングインタビューではC/S領域に侵入できることにより、アスキングインタビューでは想像もできなかった広さの情報が得られます。また、それが自発的発言の文脈で語られることにより、因果関係、葛藤関係、目的手段関係、時系列関係などによる「構造化」された情報にもなっています。このようにC/S領域にある生活者のニーズや生活課題が構造化されて把握されないことには、彼らの生活における意思決定のメカニズムがわからないということになります。すなわち彼らの態度を左右することが課題であるマーケティングアクションの立案にも役立たないのです。なお、「上位下位関係分析法」による「ニーズ構造分析」や「因果対立関係分析法」によるニーズの阻害促進要因分析においては(梅澤、1993)生活の各オケージョンにおける生活者の行動と意識を広く把握することにより、そのメカニズムを非常に明確にすることができますが、アスキングインタビューでは十分にそれを達成することができません。
一般的にインタビュー調査の最大のメリットは、「短時間に対象者の生活体験を調査目的にかなう形で凝縮して把握することができる」ことにあります。つまり、インタビュー調査は「時間を超える」のです。エスノグラフィー、オブザベーション、ソーシャルメディアリスニング、MROCなど各種の定性調査手法に対してそれがインタビュー調査の最大の優位性となります。実査投入時間分の情報しかとれなかったり、目的に合致しない情報が多数混在したり、実施時間当たりの獲得情報量が少なかったり、といったことがないわけです。故に、インタビュー調査はそれらを含め他の手法とも併用されることが多いわけです。その効果を最大化するためには、調査する側が「質問できない」生活体験、ライフヒストリーが凝縮して聴取される必要があります。その為にはアクティブリスニングインタビューは極めて有効な手法だということを述べて、本稿を終わりたいと思います。
【注記】
※1: 「グループインタビューは対象者3人で行うのが良い(インタビュアーを入れて4名)」という説があります(岩本武範、『4人以上の場で「会話が苦手」になる人の必然 脳の処理能力に大きな原因がある』、東洋経済オンライン、2017-06-02, https://toyokeizai.net/articles/-/173916)。これは昨今流行りの3人編成の「ミニグルイン」実施の根拠とされています。
しかしこの記事を拝読しますと経験論的な主観でしかないと思われますし、コロンビア大学の売り場におけるショッパー行動に関する実験結果をインタビュー調査の場面の他の対象者とのコミュニケーションに適用するのは失礼ながら牽強付会ではないかと思われます。また、脳の処理能力にも触れられていますが、グラフ理論の観点で解釈すると、そこで行われているのがホイール型であり対象者が4人以上の場合に「情報の飽和」が発生している例なのではないか、ということも言えるわけです。
さらに、インタビュアーが対象者を個別に認識することが必要なホイール型のFGIに対して、完全連結型のG・D/GDIでは、「一つのグループは一人の人間として考える」(梅澤、1993)とされているように、主として「誰がどんな発言をしたのか」ではなくて「全体でどんな話の流れなのか」という認識の仕方をしますのでこの例はあたらないと思われます。むしろ「一人の人間」という認識の仕方をしているからこそ「情報の飽和」が起きず、より多くの情報が聴取できるのだということもできます。対象者も自然な状態以上に他の対象者の発言を個別に正確に認識していることなどは求められません。例えば個人名を挙げなくても、「“どなた”かが先ほどおっしゃったと“思う”〇〇というお話についてですが、私は・・・」という言い方でまったく構わないわけです(このようにアスキングインタビューとアクティブリスニングインタビューでは脳の使い方も違うわけです)。
筆者にも経験論を語ることが許されるのならば、出席者に作業やアウトプットを求めるアイデアワークショップや分析ワークショップならば確かに4人というのはいろいろな意味で望ましいと感じられます。しかしインタビュー調査に関してはその限りではありません。なぜならば、アクティブリスニングインタビューの場では対象者は自らの生活について話し散らかすだけでよく、話された内容を「まとめる」必要はないからです。それはリサーチャーが分析として行うものです。そしてより深く広い分析のためには分析素材は多いほうがよいわけで、すなわちやはり人数、正確には「エッジの数」は安易に減らしてはならないということが言えます。
※2:この理論はアクティブリスニングインタビューを行う上で核心的なものとなります。従来から経験論として語られてきたことや現場での事象を分析し理論化したものであり、「マーケティング実務における初心者理解促進と品質向上のための定性調査体系化の試み」(井上、2020、「マーケティング実務における初心者理解促進と品質向上のための定性調査体系化の試み」『Journal of new market creation = 市場創造研究』 9, pp.35-54,(一社)日本市場創造研究会。)としてまとめたものです。下記URLよりリンクされたpdfファイルをダウンロードすることができるようにしています。
https://note.com/styley_inop1961/n/n257122505b2a
※3:油谷は 「アメリカという国が持っている文化風土の特徴は、コミュニケーションに関して極めて楽観的なところにある。
だから、根がアメリカ発であるマーケティングリサーチ手法の多くが、原則として人が人にものをたずねて、それに回答するという行為に疑いをもっていない。
調査の対象となる消費者を、見ず知らずの他人(調査主体)に対して、何時でもなんでも回答する存在だとみなしている。質問というコインをいれると、期待通りの回答という商品がでてくるベンディング・マシーンのように、思い定めている。」(油谷、1995)
と述べています。つまりこれはアスキング批判なのですが、それが図表6の内容と共に、すでに20世紀に指摘されていたことに思いを致すべきでしょう。本来インタビューというのは高いスキルが求められるものですが、「質問して答えさせる」ことで体裁だけは成立します。それが本文中にも書きましたように易きに流れた悪貨が良貨を駆逐した原因でしょう。
※4:「アクティブリスニングインタビュー」というと新しいもののように聞こえますが、実は、内田、梅澤、油谷らが主張、普及しようとしたオーセンティックなインタビュー手法に他なりません。しかし「悪貨が良貨を駆逐」した状況にある現状においては、改めて新たな方法論として位置づける必要があると思われ、あえて提唱する次第です。本編にも書きましたように、コロナ禍でインタビュー調査がオンライン化を迫られた中、「オンラインでは困難」であるという現象が生じたことは、実はもともとアスキングインタビューに潜在していた問題が顕在化しただけであるということが本編でも本稿でもご理解いただきたい核心部分です。
※5:「自由に話してくれ」と言いますと、当然冒頭は「沈黙」が支配するものです。しかしインタビュアーがそれに耐えきれずにアスキングをしてしまうことが自発的に話さなくなる最大の原因です。筆者は「沈黙責め」と呼んでいますが、インタビュアーがその沈黙を「利用」することで、その沈黙に耐えられなくなった対象者は観念して自発的に話し出すものです。筆者の経験では最大でも1分ももちません。但し、どんな話題なのかが理解されていることや、沈黙も含めた対象者に対しての受容的態度などがその前提条件となります。つまり、話題について理解を得ることや常に受容的態度を維持することなどが自発的な発言を引き出すためのインタビュアーとして求められるスキルの一つであるわけです。この「沈黙責め」は、グループのタスクをいわばカラダで覚えてもらう「ドリル」の一つでもあり、本文中にある「集団実体性」を高める一つの要素でもあります。
By 井上昭成〈クロス・マーケティング〉