一般消費財や耐久財で「インサイトの探索」が定性調査の役割となって久しい。医師調査においても「自社の薬が売れない」等の課題解決のために「インサイトの探索」を目的とした調査の依頼を受けることがあります。しかし、患者の病気を治すことを職業とする医師が薬を選ぶ際には、エビデンスに基づいた薬の有効性、安全性、投与経路などを鑑みた論理的な思考がベースになることから「果たしてインサイトは存在するのか?」という疑問に直面することになります。インサイトが存在するかどうかは、やってみないとわからないというのがリサーチャーの本音です。いろいろなアプローチがあると思いますが、ここでは1例をご紹介します。
1) インサイトが探索しやすい領域と探索しづらい領域
インサイトとは「生活者自身でさえ気づいていない生活者の深層心理や潜在的な欲求」だと言われます。つまり心の中で起きてる何らかの感情ということになるでしょう。そうだとすると、インサイトが探索しやすい領域と、そうでない領域に自ずと整理されます。
当然ながら、医師は有効性が高く副作用が少ない薬剤であることを前提に薬の処方をするでしょう。時には医療経済や患者さんの費用負担も選択時の要素になり得ます。Emotionalな部分は非常に小さくインサイトの探索がしづらい領域にあるという覚悟でチャレンジすることになります。
2) 難しいがチャレンジはできる。その方法は?
1-1. 具体的なアプローチ
一般消費財や耐久財などの調査では、エスノグラフィ、買い物同行、MROCなどの手法がインサイトの探索を可能にしています。一方で、医師調査ではそれらの手法自体が採用できない、無理がある、機能しないというのが実情です。そのため「デプスインタビュー」が選ばれることが多くなります。
対象者に関わらず、どのような調査にも共通することですが、聴き方を固定するとインサイトの探索が難しくなることは、周知の通りです。ここでは、「医師が特定の薬を使わない理由」に対する「打ち手」をモデレーターの判断で当てて、その反応からインサイトを探索するというアプローチをご紹介します。これは、ひとりの医師の発言が他の医師にもあてはまるのか、インサイトになり得るのかを探索する手法です。プロジェクト期間内の日々のインタビューで得た反応から「仮説を創出する」、「打ち手を作る」、そして、次のインタビューで仮説にあてはまる発言をした医師に「打ち手を当てる」という一連の流れがインタビュー期間中ずっと続くことになります。通常のインタビュー調査とは臨場感が異なり、PDCAを高速に回していくイメージです。インサイトの探索は非常に困難であるという前提があるが故に、クライアントをはじめ、モデレーター、リサーチャーほか、インタビューに関わる全員が熱意をもって挑んでいく調査になるでしょう。
1-2. 打ち手が必要な理由
インサイトを「医師さえも気づいていない深層心理」と定義するならば、医師は自発的にインサイトを話せない (表層的なこと、あるいは医師としてそうであるべきことを話すに留まる)ため、打ち手を当てて、打ち手に対する反応や理由から、その奥にあるインサイトを探索することが重要になります。
1-3. 問題が起きているタイミングから「仮説」と「打ち手」を創出
どの時点で処方が滞っているのかが特定できたら、その時点を過ぎている医師の発言から得た仮説を基に、打ち手を創出し、他の医師に当ててみることも検討します。
1-4. 認知バイアスから「仮説」と「打ち手」を創出
認知バイアスが原因である場合も想定します。下図にあるような、人が陥りやすい考え方に対し、データを用いた打ち手を作り、当ててみることも時には有効です。
1-5. 「仮説」と「打ち手」の入念な準備
ここまでで述べてきたように、調査前、調査期間中も「仮説」と「打ち手」の準備が必須となります。主には「有効性、安全性などのエビデンスを用いて、納得ができるストーリー」になると考えています。なぜなら、決断にはRationalな部分が大きく作用することが前提にあるからです。
以上、医師調査における「インサイトの探索」を目的としたアプローチをご紹介しました。この手法では、クライアントにより深く関わっていただくことになります。エビデンスを準備していただき、打ち手となるストーリーをリサーチャーと事前に、そして調査期間中も共創するプロセスが必要になるからです。そのほかモデレーターが打ち手を出し分けるという調査フローも通常の調査とは大きく異なります。オンラインで実施する際には、モデレーターが迅速に、かつ適切に打ち手を出せるよう、提示資料にわかりやすい記号や色をつけるなどの工夫も必要です。ここまで読んで頂いた方には、このアプローチがどのフェイズにおいてもチャレンジングなものであることがご理解いただけたと思います。そのため、依頼される調査のタイトルに「インサイト」という文字が入っていても、ここでご紹介したアプローチを使うまでもないケースが多くを占めます。最初の段階で「何をもってインサイトとするか」という定義をクライアントに確認することは良い調査を企画をするための重要なステップとなるでしょう。
By 富内叙子〈(株)インテージヘルスケア リサーチディレクター〉